銀座と日比谷に残る「昭和」の空気。YURAKUCHO [昭和SHOWA]
●有楽町駅東口前(右手は改札)、正面奥は「マリオン」。
●有楽町駅東口前(改札は左手)ガード沿いの闇市が都市化のために一掃されたところ。ビルは「交通会館」。
下はほぼ同位置から見た現在。右奥のビルが「交通会館」。
●元「日劇」の「有楽町マリオン」
●もうすぐ戦後70年。
●マリオン脇、人が歩いている右のあたりにMHの入口があった。
●日比谷側から見た銀座方面。昔はSONYビルの向こうに森永の地球儀型ネオン塔が見えた。
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●右手・有楽町駅。新幹線のガード下には、今も変わらぬ昭和の空気が漂っているのだ。
下は正確には有楽町と言ったらいいのか、日比谷と言ったらいいのか
判然としないところがまた、いかにも昭和臭い。
どちらかと言えば新橋よりは有楽町駅に近い。
このエリアでは、やはり、
「マリオン」の向かい、「ニュートーキョー」脇を入った
日比谷映画街につながるガード下に向かって回り道をしたくなる。
●通りを挟んで「マリオン」の対岸にある「ニュートーキョー」。 この写真の右手にガードが続く。
●ガード下にこだわらない気品。そこから伝統と誇り、味覚への自信が感じられる。
●これは「有楽町八百八町」という大人気・居酒屋の看板。
しっかりと江戸事情を記して公的役割を果たしているところが江戸っ子らしくて立派。
●正面「八起」の右が下の写真のガード。昼でも暗いのは昭和の空気が凝縮されているからだ。
●ガードの手前は日比谷の映画街。次回に紹介します。
●都会の孤独を思いっきり味わえそうな無人のトンネルもちゃんと用意されている。
高架下の昭和空間/YURAKUCHO [昭和SHOWA]
●正面が東京駅。左が「東京国際フォーラム」。
右手のガード沿いに手前に来たところが「丸三横丁」。
東京駅から有楽町駅に向かうガードの、有楽町寄り。
そこに位置するのが「丸三横丁」です。
●まだ昼過ぎなのに、すでにごみ一つなく清められた通路。
●「お・も・て・な・し」の心が伝わってくる看板です。
ガードを横切る間道だから、50mにも満たない距離。
両側のお店の外に露出して張り巡らされた電線やガイシには、
ススでまぶされた分厚い綿ぼこりが、
戦後からの気概を示すものとしてむしろ誇らしげに…と思いきや、
看板にもちょうちんにもチリ一つ見当たらないこの清潔さ。
通路もゴミひとつなく清められているのです。
それは「丸三横丁」に限らず、
ガード下飲み屋街共通の心意気のように思えます。
そして ここは「有楽町」駅。
●ガードのすぐ右手がJR「有楽町」駅。
「有楽町高架下センター商店会」はその名の通り、
JR線「有楽町」駅西口改札を出てすぐのところから、食事処、飲み処が並んでいます。
お昼を過ぎたばかりの時間帯はこの通り無人でしたが、
この静けさが信じられないほどにぎわう時間帯が、夕方から始まるのです。
「逢いましょう」は今も。YURAKUCHO [昭和SHOWA]
●この「マリオン」が「日本劇場(日劇)」だったことを知る世代こそ、正真正銘の昭和世代といえるのでは…。
●思い出多き「日劇」。百恵ちゃんのフィナーレ「古都」がかかっている。 1981.2 右は朝日新聞社
●トップ写真の「マリオン」の裏側には、昭和がそのまま息づいているのがうれしいのだ。
●このガードの際に「有楽町で逢いましょう」の「そごう」デパートがあった。現在は「ビックカメラ」。
●下は「そごう」オープニングの様子 1957.7
●「有楽町で逢いましょう」は「そごう」のコマソンということは有名。 Wikipediaより拝借
●昭和時代から変わったのものは、国鉄がJRへ。省線(やまてせん)が「山手線/やまのてせん」に。
●上/居並ぶお店の上は有楽町駅のホーム。 下/有楽町駅ホーム下のガード
●このガードはまさに昭和へのタイムトンネル。
●ガードを抜ければ超近代的なビルが林立する日比谷、銀座へつながっている。
●大東京のど真ん中に残る戦後昭和の名残りが語り継ぐものは・・・
●終戦直後の1921年、有楽町駅前のバラックゾーン「すし屋横町」。正面のビルは毎日新聞社。
●20世紀のガード下と21世紀のビル風景との落差に戸惑っているのかも。
●古い写真は毎日新聞社、講談社の出版物より拝借しました。
ソラソラ、ドレドレ、「ハモニカ横町」 [昭和SHOWA]
確実なイメージとして自分の記憶にあるわけではないけれど、
今も戦後の焼跡・闇市の空気を残す入りくんだ路地裏は、どこか懐かしい。
そうした街区は都心に何か所か残っているとはいえ、極めて少なくなった。
戦後復興の先鞭を切って新宿中村屋横に発生した、
間口1~2間のバラックを連ねたカストリ焼酎の飲み屋街は
その外観から「ハーモニカ横町」と呼ばれ、
たくましい庶民の活力の源となった。
ここ吉祥寺の飲み屋街もその典型。
ただしここでは「ハーモニカ」と気取らずに、「ハモニカ横町」と短縮して呼ぶ。
当時誰でも吹けた庶民の楽器を、ハーモニカなどと気取って呼ぶ者はいなかった。
それに、「ハモニカ横町」の方が断然語呂がいい。
間もなく戦後70年。
このところ特に変化の大きい吉祥寺界隈では、
当時の雰囲気を今に伝える「ハモニカ横町」の存在が、ますます貴重に思われる。
歳の暮れ / アメ横寸景 (3D動画追加) [昭和SHOWA]
暮れはどうしても、アメ横に来ないと年は越せない。
この賑わい、この喧騒が、
ちょうど宴会のあと、シャンシャンシャンと締めの手拍子を打つように
華やいで響いている。
いろいろあった、ありすぎたこの一年。
その憂さも悲しみも全部洗い流して、また振出しを迎えるための庶民の通過儀式。
ムードだけは弾んでいる。
今年も間もなく過ぎ去ろうとしております。
今年1年のごひいき、ご来館、ありがとうございました。
来年が明るく豊かな年になりますように。
どうぞ良い年をお迎えください。
●3D動画です。うまく立体に見えなくても、音声で暮れの雰囲気を味わえますよ。
●都心のあちこちに中国、東南ア系の露店風食堂が増えて、アメ横でも大人気。
●これがアメ横なんだなあ。
●気の早いお店はクリスマスツリーを取り外す前から門松を用意して、正月気分を盛り上げる。
「盆と正月がいっしょに来たようだ」という言葉があるが、昨今はクリスマスと正月がいっしょに来るのだ。
その上、今度は9連休のお正月。それだけでも景気は上向きそうだ。
しか~し、1月6日の初出勤後は10日までまるまる一週間お休みはないからご油断召さるな、各々方。
とはいえ、11.12.13とまたもや3連休が待っているのだ。いいご時世だなあ。