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汽笛一声のスタート地点は、今。SHINBASHI [昭和SHOWA]

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●上下/汐留シティセンター
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●「汐留シオサイト」のビル群
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                                    ●鋭利な刃物を思わせるユニークな電通本社ビル


JR新橋駅に近接し、北は銀座の南端、南は浜松町駅におよぶこの汐留地区は、
20世紀には国鉄の汐留貨物駅を含めておよそ31haという広大な引込み線があった場所だ。


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●国土地理院発行 昭和30年(1955)の汐留。
 ピンクの楕円が現在の「汐留シオサイト」として再開発。1992年~2007年竣工。


20世紀末に、ここに21世紀の近代的な街づくりの計画が決まると

まず、何か月間かかけて、膨大な敷地に広がるレールが取り除かれた。

しばらくは文字通り広い広い、何もないコンクリートの「広場」のままになっていたけれど、
その空き地を利用して、仮施設による数か月間限定のイベントが開かれたりした。
子供向けのゴーカートコースを併設した家族向けのイベントや、
確か、「木下大サーカス」だったか、世界的に有名なサーカス、
また、固定された劇場を持つ前の、劇団四季のミュージカル「キャッツ」も
この地で公演された記憶がある。

道路の建設やビルの工事が動き出したのは、21世紀を目前にした1998年頃からだった。
それは、バブル崩壊以後の長引く低迷からの脱却と、
名実ともに新しい21世紀の街のかたちの先駆けとして着工されたものだった。

20世紀末に着工された高層ビルは、早くは20世紀が幕を降ろす前に。
その他の新しいビル群も2003年頃には勢ぞろい。
こうして新世紀を迎えた「汐留シオサイト」と「チッタイタリア」は、
文字通り、都心における最先端のオフィス街、ファッションタウンとしてその全貌を現した。

この地で発掘調査が行われた江戸時代の遺跡はすべて埋め尽くされて、ビルの下。
今は0マイルの里程標とレールの一部が、
1870年(明治3年)、ここを起点に横浜まで開通した陸蒸気のなごりを伝えている。


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●ほら、上の浮世絵の左に書いてある半円形の窓も、下のように復元されていますよ。
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●発掘・復元された旧新橋停車場ホームと0マイル標識
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●堂々たる威容を誇る旧新橋駅(写真左手)

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●右のグレーの部分が旧新橋停車場のあったところ Google Map

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●上と下/遺跡発掘調査中の汐留貨物駅引き込み線ゾーン 1996.5.14撮影 by sig
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●カレッタ汐留 / 四季劇場

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●お台場や国際展示場に向かうモノレール「ゆりかもめ「新橋」駅

●奇しくも、この記事を書いているときに下の記事が…。朝日新聞 2014.4.15 朝刊 多摩版
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[ELLE cafe エル カフェ] ローズマリー風味のオリーブとチーズのケークサレ


カラスが鳴いたら、烏森口。SHINBASHI [昭和SHOWA]

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●新橋駅前 機関車広場から「汐留シオサイト」のビル群と 月 を望む。

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●新橋駅 烏森口

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●上下とも 機関車広場
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●人待ち顔のサラリーマンと、カモねらいの報道カメラマン
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「カラスが鳴くから、帰~~ろ」。

終業時間が近づけば緊張から解放されて、
新橋界隈のオフィス内にもゆとりが戻る。
今日一日は短かったか、長かったか・・・。
それはその日の仕事のはかどり具合。

カラスが鳴いたら、烏森口(からすもりぐち)。
さあ、行きつけのお店でちょっと小腹を満たして、ついでに軽く一杯。
さて。電車で1時間余りの帰途に就くとするか。


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                         ●前回に続いてまたも紹介、立喰い寿司「魚がし日本一」 

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●ガードの向こうは汐留の新街区               ●ガードの向こうは銀座8丁目                             


銀座通りへの南エントランス。SHINBASHI [昭和SHOWA]

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●新橋駅のシンボル、C11蒸気機関車。
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●新橋駅 汐留口(上下とも)
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●ご存知新橋駅前はマスコミ・インタビューのメッカ。
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●新橋駅 烏森口

銀座が1丁目から8丁目まであることは、
「一丁二丁三丁四丁目が真ん中で、五六七丁目八丁目でおしまいよ」と歌う

昔の流行歌(まだ演歌という言葉は生まれていない)で知った。

1丁目は、北の京橋寄り高速道路の下あたりから。

北から順に銀座通り(正式には中央通り)を2丁目、3丁目…と順に下って、

8丁目は、南の土橋を通る高速道路のあたりまで。

土橋のすぐ近くがJR新橋駅だ。
(ちなみに土橋のあたりを流れていた外堀を、

「銀座9丁目は水の上」と歌った流行歌もあった)


新橋駅の烏森口、つまり蒸気機関車のある広場では、
テレビ局のインタビュー風景に良く出会う。
多分この場所は統計的に見て、
年齢的・性別的にも、職業的にも、身分的にも
いろいろなサンプルが交差するところだからだろう。


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京橋や日比谷に用があれば、

帰りは銀ブラ(古い)を洒落こんで、新橋から帰ることも多い。

おなかが空けば南口近くの路地にある立喰い寿司「うおがし日本一」。

河岸が近いから鮮度良好。値段は格安。

新橋は庶民的で、取り澄ました銀座とは好対照。

そのミスマッチの面白さが楽しいのだ。




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●新橋駅銀座口近くの飲食店街 左手は新橋駅のガード。右手は蒸気機関車のある広場。

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●ガードの向こうは「汐留シオサイト」の新街区。
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●新橋駅 烏森口

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●懐かしくもほほえましい風景。

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●上下/新橋駅 烏森口から次の浜松町駅に向かうガード。映画館が健在なのはうれしい限り。
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                                                                  ●My Recommend  立喰い寿司「うおがし日本一」

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●新橋駅汐留口は「汐留シオサイト」「チッタ・イタリア」への玄関口。

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                                                                   ●戦後間もなくの新橋駅汐留口(下の写真のあたり)

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●JR新橋駅汐留口を出ると、目の前にモノレール「ゆりかもめ」の乗り場がある。



 


産地の味覚をすぐさま、「有楽町産直飲食街」。HIBIYA [昭和SHOWA]

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●最先端の帝国ホテル・インペリアルタワー(右)と、戦後70年を経たガードの共存が都心らしい。

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●「魚の本店」すぐ左脇が「産直飲食街」の入口。
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有楽町駅から次の新橋駅に向かう、日比谷あたりのガード下。
「魚の本店」というお店を目印に、そのすぐ左脇にある奥深い路地が「産直飲食街」。

南は銀座、北は日比谷のホテルや映画街に近接する最高の地の利を得て、
この路地の夜はいつも賑わっている。

お昼は一見無人に見えるほど、通路は閑散としているけれど、
昼食メニューを出しているお店も何店かあり、中は結構にぎわっている。
海の幸から山の幸まで、「産直」の名に恥じない新鮮さ。
並ばずに食べることができるちょっとうれしい穴場です。

では「有楽町産直飲食街」のふところ深く、ディープなガード下探索を 動画で ご案内しましょう。


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●レールの下を一直線に貫く「産直飲食街」の奥の深さはただものではない。
  

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これは駅員3さんではありません。

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●そろそろ新橋駅。ガードの向こう、左手に汐留シオサイトのビル群が見えてきた。



美女と野獣の棲む街。HIBIYA [昭和SHOWA]

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たからづか100周年、おめでとう!

「東京宝塚劇場」。
はじめは男子禁制のような感じで、数歩離れて横目で見ていたのだけれど、
会社の慰安で観に行ったのが(女の子が多い会社だったので)、20歳の頃だったか。

日劇のラインダンスも良かったけれど、
たからづかのフィナーレのラインダンスも負けずにすばらしい。
スターも、衣装も、装置も、音楽も・・・
とにかく楽しくハッピーにさせてくれる、極上のショービジネス。
以来、結構な「づかファン」なのです。

最近劇場へ出向くことは少なくなったけれど、
BS放送のステージ録画は随分たまりました。

どうぞこれからも 清く、正しく、美しく・・・
みんなのこころにスミレの花を咲かせてください。


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●「東京宝塚劇場」は、戦後は占領軍専用となり「アーニー・パイル劇場」と呼ばれた。1946

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●劇場入口。この右手に楽屋入口があり、劇場がはねる頃にはファンが列をなす。

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タカラヅカのある日比谷の一帯は映画館街であることは、今も変わらない。
昔「有楽座」、今「TOHOシネマズ シャンテ」。
そのシンボルゾーンに我らのアイドル、「ゴジラ」の像がある。
その「ゴジラ」が公開60周年を記念して、アメリカでまたまたよみがえったらしい。
不滅の原子力怪獣「ゴジラ」。
ああ、げに恐ろしきは原子力かな。


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●「TOHOシネマズ シャンテ」

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●ゴジラ「人間と等身大がバレバレじゃん。なんとかアングル工夫できなかったの? これだから素人は…」


●クライマックスの音楽が「2001年宇宙の旅」と同じトーンというのが気になる。

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●左/「帝国ホテル」。右手前/「東京宝塚劇場」。その奥は「日生劇場」。
  そして、立っているその背後はJRのガードです。


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●「東京宝塚劇場」の対面は「帝国ホテル」(写真奥)と「インペリアルタワー」(手前)

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●「インペリアルタワー」の脇がJRのガード。
  新橋方向(写真左)に向けて、平成首都ガード下探索は次回も続きます。




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