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夢よ、もう一度。2020東京オリンピック。 [昭和SHOWA]

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昭和世代の記憶の奥に、はっきりと焼き付いているこれらの光景。

19641010日開幕の第18回オリンピック東京大会。

それは、戦後19年目。今から49年前。

 

選りすぐりのアスリートたちが数々の神話を生んだアジア初の世界競技大会は、

一方で、敗戦国日本が立ち直った姿を世界にアピールする好機でもあった。

スラム化した都心の整備は、1950年代後半あたりからから徐々に進められてはきたけれど、東京オリンピックは明確に「戦後」からの決別を担うものとして位置づけられていた。

 

人口は1000万人を超え世界一の過密都市に成長した東京が、オリンピックを機にまず取り組んだのは、新たに競技場を作ることだった。

メイン会場となる代々木国立競技場、日本武道館、駒澤競技場の建設と並行して鉄道、道路、空港など輸送系のインフラ整備も急速に進められた。

そして生まれたのが東海道新幹線を筆頭に、首都高速道路、地下鉄日比谷線、そして東京国際空港(羽田空港)から都心へのモノレールだった。

また、海外や地方からの観客への対応としてホテルの建設がすすめられ、ニュージャパン、銀座東急、パレス、オークラ、ヒルトン、プリンス、ニューオオタニが相次いで開業した。

 

これらの工事が進む中で、国鉄沿線にあった闇市の名残は取り払われ、

街を徘徊していた浮浪者たちは施設に収容。

皇居の外堀は埋め立てられて車道となり、日本橋の上を高速道路がまたぎ、

都電が廃止された。

街にはまだ高層ビルは少なかったけれど、表向きは豊かになった日本の顔を、海外からの来場者にアピールできた。

 

このように見てくると、現在の東京は、

実に前回の東京オリンピックが築き上げたものの上にあるということが分かる。

そして、それ以来半世紀が経過し、それらがことごとく老朽化している。

その東京を蘇らせる起爆剤こそ、

2020東京オリンピック/パラリンピックという訳だ。



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●建設中の駒澤国立競技場

P1000342.JPG●東海道新幹線試運 新橋駅

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●首都高速道路 赤坂見附周辺 手前は赤坂プリンスホテルのプール

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●日本橋をまたぐ首都高速道路


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●東京モノレール 羽田空港-浜松町間

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●地下鉄日比谷線 霞が関-恵比寿間開通

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●ホテル・ニューオオタニと首都高 奥は東京タワー
  ここに見られるのは、まだ戦後の復興期を終えたばかりの都心の姿。
 

 

その実現に向けて企画されていたプランは、現実のものとなった。

老朽化した高速道路は建て直され、新国立競技場が誕生。

湾岸エリアを中心としたコンパクトな会場配置が実現する。

環状道路や首都圏中央道の整備、羽田・成田空港発着便の増強計画、

リニア中央新幹線の一部開通や8Kテレビ……。

経済効果は3兆円とも4.2兆円とも言われ、

雇用創出は全国でおよそ15万人と弾かれている。
(ただし、前回は新規に建設したものを今回は再利用が多い。また経済効果についても7年間で見れば大きな数字ではない)

 

すべては7年後に向けて。

東京が、日本が、ようやく目標を得た。

みんなの目線が、同じ方向に向けられた。 

ここ20年失われていた「オールジャパン」の機運が高まってきた。

 

2020東京オリンピックは東京だけのものではない。

当然ながら東電福島原発の放射能汚染水問題と、すでに2年半を経過した津波避難者の問題は真っ先に解決されなければならないし、

20年も続くデフレ経済からの脱却と消費税増税との絡みなど、

オリンピックまでに解決、解消しなければならない問題は山積している。

そして、前回のような大きな脱皮ができるかどうか。
単純に「夢よ、もう一度」と浮かれてはおられない現実がある。

経済効果よりも、実は国民一丸にかける期待が大きい。


●第18回オリンピック東京大会の写真は「週刊朝日百科1964」(朝日新聞出版)より


夏が来れば思い出す・・・ [昭和SHOWA]

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●空の要塞と呼ばれた大型長距離爆撃機B29

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8月1日から3日間に及ぶ「長岡まつり」が終わった。

2日3日は呼び物の「大花火大会」。

レギュラーの正三尺玉、ナイヤガラ、米百俵・尺玉100連発に加えて、

ここ数年は「フェニックス」「天地人」「超大型ミラクル」、大林宣彦監督の映画にちなんだ「この空の花」など大仕掛けのスターマインが目白押し。

両日とも2時間にわたり、信濃川の中州で打ち上げられる花火は計2万発。

今年、2日間の人出は96万人に及んだという。

郷土自慢の筆頭に長岡花火を挙げている同郷人としては、うれしい限りだ。

 

ところで、まつりの初日にあたる8月1日は慰霊祭である。

 

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●護衛機を従えて飛ぶB29(右上)

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●B29による焼夷弾投下
 親爆弾から36~38個の筒状の焼夷弾に分かれて落下。油脂により地上を焼き尽くす。 

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1945(
20)年8月1日、午後10時半。

就寝直後の市民は、けたたましい空襲警報のサイレンで飛び起きた。

夜空いっぱいに飛来したB29爆撃機。その数50機。

降り注ぐ焼夷弾。次々と炎上する市街。

1時間40分にもわたる空襲に打つ手もなく、長岡市街は瞬く間に焦土と化した。

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●B29による長岡市爆撃を伝える新潟日報
 


当時私は4歳。

幸い家は、長岡市街から4キロほど離れた丘陵地のふもとにあり、

その間は一面の田んぼ。

長兄は予科練で不在。父母と祖母、二人の兄と姉、そして私で

焼夷弾から降り注ぐ燃えたぎる油脂を避けるため、濡らした布団を頭からかぶり、外へ。
田んぼ道はどこへ逃げたらいいか分からずに右往左往する人たちでいっぱい。

長岡市街は端から端まで一直線の火の帯になって燃え上がり、

次々と飛来するB29の銀色の胴体を真っ赤に染めていた。

1941(16)年の早生まれ…。

それは、夜空を焦がして燃え上がる彼方の市街の光景を原風景として

記憶に刻んだ最後の世代なのだ。

 

死者1,484名、焼失・破壊家屋15123戸。中心市街地の8割が焼け、

人命においても焼失家屋においても、

北陸では720日被災の富山に次いで、長岡は大きな被害をこうむった。

長岡の大空襲は、広島(8/6)、長崎(8/9)へと続く破滅へのプロローグだった。
★関連記事 http://fcm.blog.so-net.ne.jp/archive/c45414834-1


 

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●灰燼に帰した長岡市中心部
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終戦から約1年後。

不屈の長岡魂で復興に取り組む市民を励ますために「長岡復興祭」が企画され、

8月1日大空襲被災者の御霊よ安らかに、と打ち上げられたのが三尺玉の大花火だった。

 

その後長岡は、三八豪雪(1963.1)、新潟地震(1964.6)、大水害(2004.7)、中越大震災(2004.10)、中越沖大地震(2007.7)…と数々の災害を克服して今日がある。

そのつど、被災者を慰霊し、励まし、勇気づけてきたのが長岡大花火だった。


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●「長岡の花火」山下清  嘉瀬誠次氏所蔵

 

また、放浪の画家・山下清が言った「爆弾なんか作らないで、きれいな花火ばかりを作っていたら、きっと戦争なんか起こらなかったんだな」という言葉が、

昨年、大林宣彦監督の「この空の花-長岡花火物語」(2012)という映画のテーマになり、

それがそのままのタイトルで大花火大会人気の超大型スターマインになって、

大空高く打ち上げられている。

長岡大花火は慰霊・鎮魂の花火。

こころに響く花火、涙して観る花火、と言われる所以だ。

★関連記事 http://fcmfcm.blog.so-net.ne.jp/2012-08-06

 


あれから68年。

「夏が来れば思い出す」のは「はるかな尾瀬」の前に、

終戦とそれに続く戦後の光景であることは、いつになっても変わることはない。


今年も、広島、長崎の忘れえぬ日が巡ってきた。


そして、8月15日は、68年目の終戦記念日。



★写真は「長岡大花火 祈り」(長岡まつり協議会、文芸春秋企画出版部)、および「炎の青春」(県立長岡中学校 昭和19年入学同期会)より拝借しました。

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 「猫の時間」 新宿ゴールデン街 [昭和SHOWA]

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ここは花園神社裏手の「新宿ゴールデン街」。
ある意味でアングラ発祥の地と言ってもいいかもしれない。

今でもアクの強い演劇人や映画人、アクター、アクトレスに愛され、
個性派ミュージシャン、コメディアン、
フォトグラファーやデザイナーなど、
時代に一矢報いようとする、一筋縄ではいかないクリエイターたちのたまり場。
昔も今も、巷に旋風を巻き起こす予測不可能なパワーを秘めて蠢く
知る人ぞ知るディープな一角だ。


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ビデオを撮りに来たわけではない。
近くに来たので、思いついて立ち寄っただけ。
どうしてここにいるのかわからない。
暮れるにはまだ間がある、なんと中途半端な場所と時間。

なじみの店があるわけじゃない。
思い出があるわけでもない。
そもそも私は下戸だ。それも極めつけの……。
飲まないのではなく、飲めないのだ、体質的に。
(
だからこのブログも、スタンドバーではなくて「喫茶室」)
それがなぜここに居る…。
似たような人種が仲間なのに、ひとり、蚊帳の外のような気がしないでもない。

ただ、こんな猥雑な雰囲気が好きなんだなあ。
もし酒が飲めれば、適度に通うかもしれない。


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「酒を飲まない奴は信用できない」…。
その昔、独特なカメラアングルと表現法で
「オズの魔法使い」と呼ばれた世界に名だたる名監督が言ったとか。
小津安二郎監督は嫌いではないが、それはちょっと違うんじゃないか。
ま、監督の場合は、多分に酒好きの自己弁護というフシがあるけれど、
心を開かない奴、本心を明かさない奴はきらい、という意味なんだろうね。
それはそれとして、酒が入らなきゃ本心を言えないようじゃ困ったもんだ、
と下戸は思う。

いつだってシラフの自分は、いつだって開きっぱなしの解放状態。
表も裏も真っさらだ。
正真正銘の白紙状態。透かして見れば太陽が見える。
無防備だから、計算づくで来られたらたまらない。
うまい話に乗せられて、駆け出しのころはずいぶん苦い思いをした。
(
でも、酒に逃げる道はなかった)


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自分を通せば壁ができる。
自分を開けば傷を負う。
と言って、自分を責めたりすることもない。
誰のせいでもないんだから。
なるようにしかならない、と思っている。
そしてそれがまた、落ち着くところに落ち着くんだから、
世の中、よくできている。


酒は飲めなくても、酒の付き合いはできた。
ジンジャーエールで、結構その場の雰囲気に酔えた。
今はノンアルコール・ビールがある。
下戸の希望がようやく実った。


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日暮れ前のひと時、ゴールデン街はひっそり。
猫たちの時間。
路上でゴロゴロ。のどもゴロゴロ。

いいねえ、君たちは。
さあ、もうじき、悩み多き人間様のお出ましだよ。


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夏の兆し/有栖川宮記念公園 [昭和SHOWA]

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●ちょっと見には金沢・兼六公園のような風情。関係あるのかな。


前回記事にした、港区広尾の「EMON
Director's Choice B&W Exhibition」で、
フィルム写真のすばらしさを満喫させていただいた後、
すぐ近くの有栖川宮記念公園に立ち寄りました。

この公園へは始めから寄るつもりで出かけていました。
実は40年近くも前に仕事で使わせてもらったことがあり、懐かしかったからでした。

ところが、印象が全く違いました。
こんなに起伏に富む場所だったのか。

池に架かる橋以外に、
林の中を往く階段状の遊歩道も、
池の周囲の様子も、
有栖川宮熾仁親王の銅像も、全く記憶がありません。
そして、唯一記憶にとどめていたはずのその橋の様子も、微妙に違っていました。

きっとその時の自分には、
仕事関係以外の情景は,始めから視野に入っていなかった、ということなんでしょうね。

ということは、
仕事一筋でやっていた時代に、どれだけ大事なことを見落としてきたんだろう。
なんて、ふと思ったりして。

まあ、それほど深刻に考えたわけではないんですけどね。


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●公園の謂れは省略して、港区の説明パネルにお任せ。

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●有栖川宮威仁親王         ●有栖川宮熾仁親王の銅像

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●唯一、記憶に残っていた橋。外国の大使館が多い場所柄、国際色豊か。

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          ●外来種の蔓延は困ったものだ。

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