映画「日輪の遺産」の舞台、多摩弾薬庫を歩く。 [昭和SHOWA]
映画「日輪の遺産」は2011年の作品です。
太平洋戦争末期。敗戦を予感した帝国陸軍上層部が、南方戦線で奪取した時価900億円もの財宝を、戦後の復興のために隠密裏に多摩地域にある火工廠内の洞穴に秘匿。そのカモフラージュのために勤労動員された女子学生たちの運命やいかに、という著者の才気あふれる壮大な物語。
私がこの映画に興味を持ったのは、実にこの「陸軍火工廠多摩火薬製造所」…通称「多摩弾薬庫」が、今でもそのまま私の住む稲城市にあるからに他なりません。(範囲は隣接する多摩市にも亘っていましたが、現在多摩市のそのエリアは米軍多摩ゴルフ場になっています)
原作は浅田次郎。出版は1993年8月末ですから、氏が直木賞を受賞された1997年の「鉄道員(ぽっぽや)」よりも前ということで、初期の作品に当たると思います。
その頃でしょうか。氏は一時稲城市にお住いの時期があり、火工廠の存在に啓発されて構想が膨らんだものと思われます。
私も以前からこの中を観たいものだと思っていたのですが、春と秋の年2回、2日ずつ4日間、それぞれ1日35名に限って見学会が開催されるだけ。今年こそは、と待っていたらようやく機会に恵まれて念願の見学が実現したのでした。
この日は10月28日。
当日は快晴に恵まれて、勇躍メインゲートへ。パスポート持参者はOK。運転免許証を身分証明書代わりにという人は、最初に取得した時に申請した4ケタのパスワード2種を伝えなければなりません(覚えてますか?)。ここは今でもアメリカなのです。
●米軍多摩サービスアネックス(通称・多摩弾薬庫)は複数の街区を合わせたほどに広大。
下図の赤線が今回のルート。上の図の空白部分に埋め込みたいのですが、技術不足です。
●左は私立稲城病院。その向こうの森一帯が「多摩サービスアネックス」。
●●入口
●ビークルを使う程施設内は広い。(私たちは歩きです)
●「マムシに注意」の説明。植物は約800種。鳥、昆虫、両生類などは1100種以上。
●米軍レクリェーション施設の色々
そんな訳で、この中で映画の撮影が許される訳はなく、「日輪の遺産」自体が大いなるフィクションなのですが、その舞台とされる多摩火薬製造所は実際には1938(S13)年から操業。第一工場から第三工場まで順次拡大し、手榴弾や中型、大型爆弾の炸薬の製造が行われていたということで、軍人、軍属の住宅をはじめ、男子寮、女子寮、共同浴場、病院などが整い、終戦間際には173ヘクタールの敷地内で2085名の人員が従事していたのだそうです。
終戦後は米軍に接収され、現在は「多摩サービスアネックス」という名称で、70年来手つかずの緑濃い多摩丘陵の中に、乗馬、フィールドアーチェリー、テニス、ソフトボールなどのスポーツ施設やキャンプ場、コテージなどが点在する米軍家族の格好のレクリェーション施設となっています。
その様変わりした光景の中に戦中を忍ぶよすがは薄れ、わずかに残された廃墟に当時の様子を想像する他ありませんでした。もちろん、財宝隠しの隠れ蓑として砲弾づくりに従事させられた女子挺身隊の悲劇の跡など、どこにも残っておりません。
●火薬や銃弾などを作っていた工場跡が見えてきた。
●内部には何もなく、稼働時の様子は想像するしかありません。
●上のシューティングゲーム広場は、下の写真のような居住区だったそうです。
●地下に続く入口。エレベーターで人や機材などが昇降したということです。
●工場や居住区へのエネルギーを供給するためのボイラー施設。外側の木造部は残っていません。
●駅員3さんのブログでもおなじみの多摩弾薬庫のアイドル?「たまちゃん」 です。
●日米友好
なお、「多摩サービスアネックス」は、この見学会の他に日米友好の定例市民イベントの会場となったり、駅員3さんのブログでも紹介されたように、ボーイスカウトの国際ジャンボリーなどにも利用されています。
★駅員3さんの「多摩弾薬庫」紹介記事はこちら。
http://kotarobs.blog.so-net.ne.jp/2009-11-24
2009年の記事ですから、この記事にない写真が多数撮影されています。
以前は関東の米軍基地は顔パスで入れたのですが、9.11以降レギュレーションが厳しくなってしまいました。
多摩ヒルズは幸い十数回は行っています。
私の撮った写真は結構藪漕ぎをして撮って来たものもあるので、ひょっとしたら見つけられなかったものは、藪に埋もれているのかもいれません。
良い自然薯が沢山・・・(^^;;
by 駅員3 (2015-12-01 14:12)
追伸 藪漕ぎしていて旧陸軍の財宝を発見したのは内緒ですo(^_-)O
by 駅員3 (2015-12-01 14:13)
浅田次郎らしい作品ですね。
本読んでませんが。
by 夏炉冬扇 (2015-12-01 18:26)
こんばんは。
浅田次郎さんの作品は好きになれないです(^_^;)
この映画、観ようか観まいかと先日悩んでいました(ネットの映画です)
多摩は歩きたいですが、千葉からは遠すぎ・・・
by green_blue_sky (2015-12-01 18:45)
駅員3さん、こんばんは。
何回も場数を踏まなければ撮れない写真ばかりでしたね。そのご無くなってしまった建物などもあるようですね。ところで「旧陸軍の財宝」、いつか見せて頂きたいものです。
by sig (2015-12-01 18:55)
夏炉冬扇さん、こんばんは。
私も実は原作は読んでいません。この映画が公開されるずっと前から多摩弾薬庫は一度見ておきたいと思っていました。
by sig (2015-12-01 18:57)
green_blue_skyさん、こんばんは。
この映画は角川映画ですが、私も浅田次郎作品は全然読んでいません。この記事は前からチャンスをうかがっていた多摩弾薬庫見学会に参加できたので、映画をからめてみただけなのです。
by sig (2015-12-01 19:00)
多摩弾薬庫のアイドルは「たまちゃん」て言うんだ?
たまちゃんと言えば、昔、多摩川にもアザラシのたまちゃんが居たよね(^^;
実は私も大昔に、たまちゃんと言われてた時がありました。
何故かと言うと、坂東玉三郎に似てるからって事で(^^;
by Aちゃん (2015-12-01 21:17)
映画は見損ねましたが、多摩弾薬庫には興味津々、面白そうですね。
変わってしまったとは言え、それだけ遺構が残っていれば何かと考えさせられそうです。
それにランカシャーボイラー、駅員3さんが大阪でも見られたようで。ぜひ見に行きたいなと思ったりもしてます。(^_^ゞ
そちらでは愛称もついてましたか、どう見てもベビーフェイスだもんね♪
by 路渡カッパ (2015-12-01 22:17)
Aちゃんさん、こんにちは。
「たまちゃん」は私がこの記事のために勝手につけた名前です。このエリアは米国管轄ですから、市民といえども勝手に入れず、タマちゃんの存在を知る人は一握りです。玉三郎に似ていたAちゃんさんは本物の「たまちゃん」ですね。
by sig (2015-12-02 09:43)
路渡カッパさん、こんにちは。
私は地元なので、WOWOW放映を録画してありますが、正直、名作とはいいがたいです。「たまちゃん」は私が勝手につけただけですので無視してください。記事に書いたように簡単に入れるところではないので、70年手つかずの遺構や動植物の研究者にとっては魅力のあるエリアだと思います。
by sig (2015-12-02 09:48)
「マイナンバーカード」も、確か受取時に4桁の暗証番号が2種類必要でしたね(^^;;
by 風来鶏 (2015-12-02 10:51)
たまちゃん、ほんとに顔みたいでユーモラスでやす~(◎o◎)
by ぼんぼちぼちぼち (2015-12-02 12:58)
sigさん こんにちは
後世に戦争の悲惨さを伝えていくのは大切なことです。
このようなものが残されているのは、そんな思いの方々の熱意なのだと思います。
by SORI (2015-12-02 15:52)
当時の施設がたくさん残っているんですネ。
一般に公開されると良いですネ。
たまちゃん・・・、可愛い顔ですネ。
by Mitch (2015-12-02 19:08)
その映画は見たいと思いつつまで見れてないです。
廃墟はちゃんと見れるようになってるのですね?
ここは是非とも訪れたい所です。
by 響 (2015-12-02 21:17)
風来鳥さん、こんにちは。
通知は来きましたが、そのままに。そうですか。よく読んでみましょう。
by sig (2015-12-03 08:11)
ぼんぼちぼちぼちさん、こんにちは。
品物には、観方によって顔に見えるものが多いですが、この場合はモロに顔ですよね。
by sig (2015-12-03 08:44)
SORIさん、こんにちは。
ここは戦争を語り継ぐ遺産ではなく、米軍が利用しているレクリェーション施設なんです。で、この70年間、基本的には日本人はオフリミットであるため、そのまま残っているという訳なのです。
by sig (2015-12-03 08:48)
Mitchさん、こんにちは。
このエリアは保存が目的ではありませんから、当時のものは枯れるに任せてあります。年に何回か市の団体のイベントなどで開かれるのですが、奥まで入れる公開日は年に4日間だけです。それも市民以外の人も入れるのかどうかわかりません。
by sig (2015-12-03 08:51)
響さん、こんにちは。
廃墟としては変わり種だと思いますが、いつでもOKではなく、簡単に入れないところがつらいですね。この市に何十年も住んでいる私が、初めて入ってみたのですから。
by sig (2015-12-03 08:54)
おいら、廃墟系ってちょっと・・・
この映画、今度レンタルして観てみます
by くまら (2015-12-03 11:18)
くまらさん、こんにちは。
くまらさんは廃墟よりも近代的建築物ですか。金沢は古都の空気を大切にしながら斬新な感じがしますものね。
この映画、自分の街と関係があるというので記事にしましたが、作品の出来栄えとしてはどうでしょうか。あまり評判にもならなかったのでは。
by sig (2015-12-04 14:25)
自然薯がとれるところは見逃せません。
え!それは見当違い?
私の親父は山で自然薯堀を良くしていますた。
今は縦じゃなくて横に栽培してるってビックリです。
戦争は大量殺略です。
戦争はいけません。
by lamer (2015-12-04 16:14)
多摩弾薬庫跡が稲城にあることは知りませんでした。今も昔の面影を残しているのですね。映画「日輪の遺産」は見ていませんが、戦時中に勤労動員された経験者としては興味が有ります。機会が有ったら行って見たいです。
by カメキチ (2015-12-06 09:30)
知りませんでした。興味深いですね。
by gillman (2015-12-06 09:37)
lamerさん、こんばんは。
もう70年も手つかずの山林ですから、自然薯もアケビも、何でもあるのではないでしょうか。マムシ、狐がいるということからも、一般的な東京郊外ではありません。米軍はここも離しはしないでしょうね。朝鮮戦争の時にはミサイル基地にという話もあったそうです。
by sig (2015-12-06 17:45)
カメキチさん、こんばんは。
50年も住んでいる私が初めて入ったところです。ただ、周り中が開発されているので、思ったほど深山幽谷の趣はしませんでした。映画では勤労女子挺身隊が弾薬作業に携わるのですが、秘密隠匿のために青酸カリで自決させられるという話です。この場所はいなぎ市民以外が入るのは難しいかもしれません。
by sig (2015-12-06 17:50)
gillmanさん、こんばんは。
ず~っと観たいと気になっていて、日にちや曜日が合わずにいたのですが、今回ようやくです。もっとジャングルのようかと思いましたが、日ごろ使用されているせいか、道路を始めエリア内は整然としていました。
by sig (2015-12-06 17:53)
良い。過去一度行った事があります。参考とします、
by お名前(必須) (2015-12-07 18:49)
はじめまして、こんにちは。
ここはうちの近所です。
すぐ近くで生まれ育ちました。明治生まれのお爺さんがここで
働いていました。ここは日本軍の秘密工場だったらしいですが
結局米軍に見つかってしい空襲を受けたそうです。
ベトナム戦争時は隣の稲城市民病院に多くの負傷兵が運び込まれたらしいです。いい思い出です。今は愛知に越して住んでますので
なつかしい話です。また実家に帰省したら見に行きたいと思います。
by susumu (2018-05-06 19:26)